死ぬ前に達成しておきたいことの1つに「バイクで日本一周」があります。
この夢を実現するために旅にでました。
バイクは昨年、店頭で見かけて即決したホンダ・ハンターカブ。
排気量125㏄、高速道路を走れないため3分割して周る予定です。
今回は太平洋沿いを北上して青森県から日本海沿いを新潟まで南下。北関東を縦断して帰宅する予定。
ツーリングのルール
(ア) 期間は8月17日~22日。
(イ) 搭載する荷物を減らすためにキャンプ道具なし、宿泊はビジネスホテルか旅館。
(ウ) 出発前の走行距離は5000㎞。今回のツーリングで気づいたカブのいい点、悪い点をブログにまとめる。
津波の爪痕を確認できる国道45号線
東日本大震災が発生したとき私は南極で仕事をしていました。
正確にいうと、南極での仕事を終えて日本へ向かう船の中にいました。
第一報は「日本の一部に津波が押し寄せて被害がでているらしい」
「冗談なのか?」「事実なのか?」艦内では情報が錯綜(さくそう)していました。
翌朝、同行していた新聞記者が日本の朝刊を印刷してくれたことで事実を知ることになりました。
あれから10年。被災地がどのように変わっているのか気になり仙台~青森の海沿いを走る国道45号線を走破しました。
消えた「津波の爪痕」現れた「津波浸水区間」
朝7時に石巻の宿泊施設を出発。
天気はよく、交通量が少ない。45号線を快適に進むことができました。
走行して気になったことは「津波に洗われたであろう場所はどこもかしこもキレイ」なことでした。
全ての河川は護岸工事が行われ高いコンクリートで覆われているか、工事中。
被災した橋や漁港、道路は整備されているうえにオシャレな公園になっているところもありました。
私が思い描いていた”ひなびた東北”の面影はなくなり400㎞の沿岸部は新しいインフラに造り替えられていました。
被災地周辺に住まれる方が安心して暮らせる環境作り、巨大な公共事業を行うことで地元経済を潤すなど、復興に必要だった措置を自分の目で見ることができました。
走っている途中に何度も見かけたモノがありました。
それは、前回の津波で浸水した区間を示す「津波浸水区間」の標識でした。
ドライバーや歩行者の避難場所の目安になるため国土交通省が設置したモノです。
東日本大震災の爪痕を意図的に「残す」「消し去る」地元では賛否両論あると聞きました。
痛ましい津波の記憶を思い出したくない意見が多いようです。
しかし、津波の凄まじさを後世に残す貴重な資料となるため、被災地の1区画をそのまま残して欲しかったと感じました。
きっと、全国はもちろん、海外からもお客さんが訪れて地元の経済復興にも貢献してくれることになったと思います。
気仙沼で鮫を喰らう
鮫で有名な気仙沼。
フカヒレラーメンを食べるつもりでしたが、町に到着したのが朝8時半。
さすがに営業している店もなく、フカヒレは食べられませんでした。
仕方なしに、朝から開いている食堂の“鮫のソースかつ丼”で代替しました。
鮫の身は臭みが強いため、ヒレだけ削ぎ落して海にリリース、もしくは、カマボコの原材料として使われることが多いと聞きます。
しかし、気仙沼の鮫は魚の処理がいいのか?ソースに香辛料が付け込まれているのかは分かりませんが、白身魚感覚でおいしく頂くことができました。
じぇじぇじぇ発祥の地 岩手県久慈市
気仙沼からリアス式海岸を眺めながら300㎞北上。
岩手県久慈市で45号線を下りました。
NHKの朝ドラ「あまちゃん」のロケ地に立ち寄りたかったからです。
数年前に仕事で八戸を訪れた際に同期に案内してもらった場所ですが、今回どこも寄らずに走り抜けてしまうのがもったいなかったので再訪してみました。
8月の晴日、気温は低くないのに風に体温を奪われ体温が下がってきました。
日没後から気温が下がることを考え早めに雨カッパを着て防寒対策を施して走行することにしました。
周りのドライバーから見たら“変なバイク乗り“に見えたかもしれませんが、体調を保つことの方が優先するべきことです。
まとめ
結局、この日は11時間かけて500㎞以上の距離を走破しました。
青森市内のホテルに着いたときには肩や背中はバキバキ状態でした。しかし、以前乗っていたスクーターだったら450㎞で音を上げていたと思います。
ハンターカブに搭載されているエンジンは125㏄。小ぶりな排気量なのに1日500㎞走行しても異常が起きないタフさに驚きました。
本日の走行距離513㎞
ハンターカブのタフさが素晴らしいです^_^
復興も確実に進んでいるようですね^_^
一度ツーリングに行ってみたいです
是非、機会がありましたら御釜に行ってみてください。
カブ、かなりオススメです。