死ぬ前に達成しておきたいことの1つに「バイクで日本一周」があります。
この夢を実現するために旅にでました。
バイクは昨年、店頭で見かけて即決したホンダ・ハンターカブ。
排気量125㏄、高速道路を走れないため3分割して周る予定です。
今回は太平洋沿いを北上して青森県から日本海沿いを新潟まで南下。北関東を縦断して帰宅する予定。
ツーリングのルール
(ア) 期間は8月17日~22日。
(イ) 搭載する荷物を減らすためにキャンプ道具なし、宿泊はビジネスホテルか旅館。
(ウ) 出発前の走行距離は5000㎞。今回のツーリングで気づいたカブのいい点、悪い点をブログにまとめる。
世界遺産「三内丸山遺跡」
今回の旅のメインは国道45号線から眺める東日本大震災の復興風景。
もう一つは、1か月前に世界文化遺産に登録された三内丸山遺跡です。
緊急事態宣言が発令中だったこともあり来場者はまばらでした。しかし、コロナが落ち着いたあとは観光客が大挙して押し寄せることは明白なので先乗りしました。
三内丸山遺跡の広さは東京ドーム9個分。県営野球場を建設途中に遺跡が発見されて工事を中止して発掘が始まったのだとか。
それでも、現在発掘が終わっているのは全体の40%程度。
掘り出した遺跡は検証後に状態を保存するために土に埋め戻し、そのうえにレプリカを設置してあるそうです。
三内丸山遺跡のシンボルとなっている六本柱建物は、ゼネコン大手の大林組がロシアのソチから運んだ大きい栗の木を使って再現したモノです。
この建物が何に使われていたのか、今も解明されていませんが、建設された当時から長さ35㎝の縄文尺と呼ばれるスケールが使われていたので、バランスの取れた建物だったことに驚きました。
また、ガイドの説明によると、縄文時代のこの辺りの気候は、現在の北関東と同じような気温で、すぐ近くに海岸線があったのだとか。
小舟を使って新潟の糸魚川から“勾玉”、岩手県の久慈から“琥珀”、長野から“黒曜石”などを交易していたようです。
三内丸山遺跡の輸出品は、大量のムササビの骨と針が出土していることから、ムササビを繋ぎ合わせた毛皮だったと推察されています。
いずれにしても、縄文人は思ったより進んだ生活を営んでいたことを410円の入場料で伺い知ることがでました。
竜飛岬は極上のツーリングスポット
本州の最北端は青森県下北半島にある大間岬です。自衛隊員だったとき、むつ市で勤務していたのでこの辺りは行ったことがあります。
今回は、私にとって未踏の地、西側の半島、津軽半島の外周を目指しました。
ルートは青森市内から半島の東側海沿いの国道を50km北上して、日本海側の国道で秋田まで南下する予定です。
信号も交通量も少ない道路のためとっても快適に走れます。また、右手に津軽海峡、左手に風力発電用の大型風車があり晴れた日は極上のツーリングスポットです。
快適過ぎるためスピードの出し過ぎに注意が必要なくらいでした。
津軽半島の突端は竜飛岬(たっぴみさき)。岬の先には直径100mの岩山、“帯島”がありました。
高台にある竜飛岬灯台からは、10㎞強離れた北海道最南端を望むことができます。
行くことが難しい辺境の地からの絶景です。
日本唯一の階段国道339号線
竜飛岬周辺で変な光景を目にしました。
国道と書かれた標識つきの階段です。
ネットで調べると、本当の国道であり362段の階段とそれに続く歩道が指定されていました。
日本で唯一の階段国道、見るだけで通り過ぎるのは勿体ないので登ってみました。
さすが、362段の階段。整備されているとはいえ登りごたえがあり汗をかきました。しかし、灯台までの近道、運転で膠着した体を動かすよい機会になるので、バイクで行かれた方は階段国道登りはオススメです。
まとめ
この日は、朝市、三内丸山遺跡、竜飛岬の観光をしたあと、日本海沿いの国道7号線をひたすら南下しました。
残り2日で東京に戻る必要があったからです。
結局21時過ぎ、秋田市の南辺りから小雨となり、カッパを着た状態で2時間走行。23時過ぎに山形県酒田市のホテルに投宿しました。
タイトなスケジュールのツーリングは観光やグルメを味わうと、走行距離で帳尻を合わせることになります。
次回来ることがあれば、2倍の日数で東北を周りたいと思います。
それと、青森の北側は、ガソリンスタンドが少ないため青森市内を離れるタイミングで燃料満タンにしてから出発するようにして下さい。
本日の走行距離440㎞
縄文人、意外と文明的な生活をしていたのかも、しれないです^_^いい学びができました
どんな生活だったのか興味深々ですね~