ワーケーションで滞在した那覇。ホテルでパソコンに向かうだけで、観光しないのは勿体ないと思い、国際通りをフラつきました。
そこで見つけたのが、地方都市にあるようなアーケード街が4~5本合体した迷宮のようなアーケード街でした。
気になったので、観光ツアーに参加したところ、驚きの歴史的背景があって今の街になっていることが分かりました。
今回は、ドン・キホーテ国際通り店、奥に広がる「巨大アーケード街マチグワー」についてお伝えします。
1.那覇の巨大市場(マチグヮー)迷宮めぐりツアー
マチグワーとは沖縄の言葉で「市場」を指します。
まさに、このツアーはガイドの説明を聞きながら巨大アーケードを歩くツアーです。
所要時間は1時間20分。参加するのに事前予約が必要ですが、1人でも決行してくれ、参加費1,000円。なんとも良心的なツアーです。
私が参加した時期は、新型コロナウィルスの影響により国際通りを歩く人が1/10に減っていたので参加者は私1人でした。
11時に、国際通りにある「てんぶす那覇前広場」にガイドと落合ってツアーが始まりますが、そこに現れたのは、若干、足元がおぼつかない年配の女性でした。
私は、会話が成立するのか心配でしたが、結果的に大当たりのガイドさんでした。
なぜなら、ガイドは那覇生まれの那覇育ち。戦争直後から国際通りを見てきた生き字引的存在だったからです。
2.米軍物資を運ぶために湿地を切り開いて作られた国際通り
戦争中、那覇で最も栄えていた場所は西町。しかし、95%が破壊されてしまったそうです。
米軍が港から物資を運ぶために、湿地帯を切り開いて作った道路が、国際通り。
名前の由来は、通りに「アミーパイル」という名の国際劇場があったからのようです。

3. 平和通り商店街
国際通りが開通したことで、周辺の脇道も整備され商店街が生まれました。
特に「平和通り」は、米軍の払い下げ品を求める人々や帰国する前に日本の土産を求めるアメリカ軍人で賑わっていたそうです。

4 足元に描かれている、沖縄の伝統マーク
平和通りの足元には、沖縄の伝統マークが描かれています。
このようなマークは「琉球かすり」の図柄に用いられるモノで、写真は、手前から「花」「ブタ」を表します。
なぜ、奥側のマークがブタなのかというと、餌箱に2匹の豚がいるところを上から見おろすとこのように見えるからです。
説明されなければ、素通りしてしまいますが、一度知ると、他のマークの意味を知りたくなるから不思議です。

5.むつみ橋通り
川がないのに「橋」の名前がついているのは、川に1.8㎞の橋を架け、その上を水上店舗にした商店街だからです。
現在もアーケードの下には、ガーブ川が流れているのだとか。

6.沖縄固有種オブジェが飾られている商店街
「むつみ橋通り」の2階部分には、沖縄固有の鳥「ヤンバルクイナ」や、蛾の「ヨナグニサン」など、たくさんのオブジェが飾られています。
これも、言われなければ気づかない、もしくは、「何か飾ってありますね」で通り過ぎてしまう程度のモノです。
商店街の人がお金をかけて設置した理由を聞いたところ「子供達に沖縄のことに興味を持ってもらうため」とガイドは回答しました。

7.牧志公設市場
1階のお店で鮮魚や肉を選んで、2階の食堂で調理してもらうスタイルで有名な公設市場は、建て替え中のため別の場所で、仮設市場を建て営業をしていました。
2階に5~6軒の食堂があり、沖縄名物の「イラブ」(ウミヘビ)を食べられるお店も2軒あります。せっかくのチャンスだったので挑戦しようと訪れたところ、両店とも休業していて夢は叶いませんでした。
2022年にリニューアルオープンした後にリベンジを果たしたいと思います。

2階の食堂で接客する店員は台湾人女性。コロナでなければ中国人観光客で賑わうということですね。
まとめ
巨大アーケード街は古くて薄暗い、安い飲み屋街もあり治安がよくないように見えますが、実際に入ると普通。むしろ、興味深い場所で10日間の滞在中に5回足を運ぶ結果となりました。
国際通りを訪れたらメインの通りより優先して時間をかける価値のある見どころ満載の観光スポットです。
那覇に滞在した期間:2021年1月20~29日 この後は宮古島に移動

国際通りにも歴史があったのですね♪ぜひガイドさん目当てで行ってみたいです
本当にお話を聞く価値はありますよ!
ガイドさんがいることで気づけることや知れることが多くなるんだなと思いました!
はい、観光ガイドを雇うと得られる情報量が全然変わります。
ですから、海外の世界遺産等では積極的に雇うようにしています。
沖縄はダイビングをやってた20年くらい前に本島は主に本部(モトブ)と伊江、渡嘉敷や石垣、竹富等の離島に行ってた頃以来で、懐かしいですね。
結局ギリギリまで本数潜ってて美ら海水族館や首里城には行かないまま首里城は燃えてしまいましたが…
経済的事情もあり長年まともに旅行してないので、刺激を求めてまた旅の記録を読ませていただきます。
篠原さん、コメントありがとうございます。
励みになります。
ダイバーなんですね!
元、ですね。
もう折れ目&劣化だらけだろうウェットスーツと機材一式は実家の倉庫で十数年間ホコリ被ってる陸ダイバーです。
ダイビングはおろか、近場にちょっとした旅行に行く余裕も無くして久しく近所の徒歩散歩くらいしかしてません。
でも記事を拝読して国際市場の2階の食堂とか懐かしいなぁ、と思いました。
陸ダイバーって言うのですね
2階の食堂は仮施設で営業中です。
築地が移転したように公設市場もリニューアルです。
悲しいような嬉しいような!
最近でもそういう言い方をするのか知りませんが、当時は「機材は持ってるけど遠のいてるブランクダイバー=陸(おか)ダイバー」といった自嘲的な?ニュアンス込みで使ってました。
伊江島ではボートから一番乗りで(イントラの指示でイントラより先に)潜った際にいきなりクエだったかハタだったかが間近に泳いでたりしましたが、あまり写真を多く撮らなかったので記憶にしか残ってないのが残念。
コ□ナ「対策」の方もいい加減日本国内も過剰な対応が世界に遅れる形で落ち着いてくる頃だろうと思うので、締め付けが緩んでもお金を理由に行けない状態は脱したいところですね。
過剰なコ□ナ対策が国内経済を破壊しないことを祈るばかりです。